捨てるものと捨てないもの : 真面目さを捨てる

自己判断の真面目さはただの思い込み

真面目、正義感、常識的という自己判断は、厳密にはただの個人的な偏見。
そういうタテマエで、周りの人間を「自分の意見に従え」と強要しているだけ。

そもそも、大前提として、絶対的な『正しさ』なんてない。
結局は個人個人の思い込み。
自分が偏った感覚で仕入れた情報を、正しいし常識だと思ってしまっている。

ただの個人的なわがままな意見。
それにただ周りの人を従わせたいだけ。

ただ、ここに大きな勘違いがある。
それをまず修正しなければならない。

人間はわがまままでいい。
と言うか、もっと自己中に生きるべき。

自分を正しく表現する

わがまま言うのなんてダメという前提があり、
それを非難される事を防ぐために、世論とか常識とか、
大人気取りの非常に汚い理論を出してしまう。

そんな事する必要は全くない。
正論を言う必要なんてないし、自分のやっている事を正当化しなくていい。

全てにおいて自分が思っていることは自分にとっては正しい。
自分に嘘をついていない限りは。

それをストレートに表現できるようになるといい。
世論とか、常識とか、そう言うものを持ち出して、自分を正当化する必要なんてない。
私は不快です、辛いです、嫌です。
そ言う言う単純な思いで表現できるといい。

そうあるべきと言う前提は、自分と相手の間には関係ない。

自分が快なのか、不快なのか。
それだけでいいし、そこに理由はそんなに要らない。
自分の思いを、世論とか常識とか、そんな物で正当化する必要は全くない。

なぜ自分を偽ってしまうのか

Photo by Alan Rojo Pinedo on Unsplash

なぜ、自分は素直に自分の感情を表現できないのか?
周りに、自分自身でいる事を否定する人間がいるからだ。

誰だって人に否定されることは怖い。
否定を恐れて、自分自身を周りに合わせようとする。

そういう、恐怖を利用して、人をコントロールする人間は非常に多い。

そして、ここで大きな注意点もある。
絶対に他人をコントロールしてはいけない。
コントロールされてもいけない。
コントロールに気づいて、それを回避しなければならない。

脳科学で判明しているが、人間は人にコントロールされたいと言う欲望がある。
自分で判断しなくてもいいし、楽だからだ。

そんな無意識のうちに起きている、洗脳からは逃げ出さなければならない。
確かに楽だけど、やがて自分自身を見失ってしまう。
洗脳の中でしか、生きられなくなってしまう。

親子関係と洗脳

特に、親はこれを気づかずに子供にしてしまうパターンが非常に多い。
教育を履き違えて、子供の芽を片っぱしから潰してしまっている。

こどもは正しさから行動しているわけじゃない。
親の愛情を求めているから、行動する。
だから、愛情だけ注いで、考えは本人に任せる以外はない。

自己表現ができない人間になってしまったのは、親の影響は多大にあると思う。

そして、それは親子代々引き継がれていってしまう。
偏った思考に洗脳され、正しい判断ができなくなり、精神を壊してしまう。

恐怖の苦しみの中に生きる事になる。

身近に、人をコントロールしがちな人がいる場合、
その親も人をコントロールしてしまう思考を持っている。

親子関係は絶対という、
親を尊敬するのが当たり前が世論だ。

子供を殺す親もいるし、実際問題、精神的に追い詰めている親は多い。

親を大切にしなければならないは、ほとんどが親側の意見だ。

尊敬できる人間であれば、尊敬し大切にすればいい。
尊敬に値しないのであれば、しっかり距離を置くべきだ。

自分に悪影響があるのであれば、親子関係も捨てなければならない。

特に親子関係の無意識への影響力はかなり大きい。

親子関係を盾に子供をコントロールすることは、本当に罪深い行為である。
子供をもつ人は肝に銘じて欲しい。
あなたの思い込みの間違った教育で、大切な子供の未来を潰している事に。

親のやるべき事は、ただ一つ。
自分の子供のあるがままの姿を愛してあげる事。
不安は多々あるのは当たり前です。
でも、それは単純に自分の不安感なだけです。
大丈夫です。
ちゃんと正しい愛情を注いでいれば、子供は自分で成長していきます。

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